道光庵の石碑

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いってまいりました、浄土宗称往院寺。
蕎麦屋に庵がつくのはなぜかって数年前に知りました。
私は昔、「蕎麦」=精進料理のようなもの。だから深大寺のように回りに蕎麦屋が多かったのかと思ってましたし。
その称往院寺中にあった道光庵、あまりの人気に寺なのか蕎麦屋なのかわからない!と
住職をご立腹させたほどの人気で列をなしていたのでしょうね~。
それはみなあやかって「庵」を使うワケですね。



d0060920_23243818.jpg最初湯島に建っていた称往院は明暦の大火(1657年)で焼かれ浅草へ移ったそうです。時代劇でよく材木やを見ますね。

神田佐久間町も木材屋のメッカでしたが湯島付近の河岸地にも槇木屋と材木屋が沢山あり槇木河岸「まきがし」と呼ばれていたそうです。明暦の大火は江戸時代最大の火事。
本郷丸山の本妙寺から出火し、焼死者は17万人とも伝えられ「振袖火事」と呼ばれてます。

江戸は火事が多かったし、乾いた冬は木造を瞬く間に焼いてしまう時代ですものね。
翌年には湯島辺りから火が上がり新橋まで焼けてしまったほどすさまじかったのです。

そして湯島から秋葉原あたりを通称「悪魔が原」と呼ばれるようになりいつの日かアクマガハラ、アキマハバラなどとなまり、住所を改正するときに一角を当て字で秋葉原になったと東京地名辞典で読んだことがあります。

移された一心山極楽寺称往院は江戸浅草芝崎町(現在の西浅草3丁目)にあったのだそう。
現在の浅草ビューホテルあたりから裏が3丁目。
そこで道光庵が一躍有名になるわけですね。そして蕎麦屋を禁じられ石碑が立てられました。


その後今度は関東大震災でお寺も崩れ落ち、その後3つに割れた不許蕎麦入の石碑が見つかり
お寺も修復されて今の場所烏山に。確かに石碑は割れていて、物語を感じました。
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by noegon8p | 2008-03-13 23:18 | 料理練習帳


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